夜の帳が辺りを包む頃、楽俊の住まう官邸に来客があった。
「らくしゅーん!」
やっと仕事の区切りがつき、ようやく自室の前まで辿り着いたところで出くわした人物。
大手を挙げ、ブンブンと手を振ってこちらに走り寄ってくるのはこの場に居ていい御仁ではない。
髪をすっぽりと布で覆った、十を越した頃合の子供は実はこの世界に十二しか存在を許されぬ尊き御方。
雁州国が麒麟、延麒六太である。
「うわぁー、なにやってるんですかこんなところで!」
楽俊が思わずそう言ってしまったのも仕方の無い所であろう。
慶のように雁と国交のある国ならいざ知らず、功と雁の間には何の関係もない。
いや、功の難民が慶を越え雁に流れている事を考えれば、関係がないとは言えぬが、負担のみを押し付けている現状に、国府の荒れた雁の官が特に何かしているわけでもない。
悪益しかもたらさぬ功に、雁が親しげに使者を送るわけも無い。
「なんでぇ、知り合い訪ねちゃいけないのかよー。」
頬を膨らましながら、拗ねた様子を見せる延麒に楽俊は苦笑を浮かべつつも嬉しく思う。
「気軽に訪ねていい身分じゃないでしょうに。しかも高々司刑のおいらなんかを。」
「だから俺はー、一六太として旧知の仲の一楽俊を訪ねてきただけだっつうのー。」
身分なんて関係ないと、そう言ってくれる六太の気持ちはありがたい。
ありがたいが素直に受けていい原状でもないのは確かだ。
雁の大学に在籍していた頃から頻繁に遊びに来ていたのもあってだろうか、慶に居た頃も、そして今も、六太は度々楽俊の元を訪れては毎度同じ問答を繰り返していた。
「とにかく上げてくれよ。子供がこんなとこにずっといんのも可笑しいだろ?」
にやりと笑う台輔にずるいなぁ、と思うが素直に自室に招き入れる。
卓子に茶器を並べ、六太が好む果子を用意すると、この麒麟は嬉しそうに自分の手で茶を淹れ白桃で作られた甘い果子を口に放り込む。
「そんでな、今日ここに来た理由なんだけどー。」
頭の布を取り、口に果子を含んだまま喋る六太が、懐から個人宛と思われる手紙を取り出す。
「まぁ読んでくれよ。」
六太に当てられたであろう手紙を読んでいいのかとも思ったが、本人に読めと言われたのでは返って断るほうが失礼にあたるだろう。
楽俊は手紙を拝借し、開いた。
読めば、塙麒が生まれて二年しかし早くも転変を覚え頻繁に姿を変えると言う。
鬣を揺らし、時に丘を駆け、時によちよちと歩く様は愛らしかろう。
楽俊は嬉しく思い読み進める。
しかし、字を追うにつれて笑みは凍りついた。
最近鳴蝕を起こさんばかりの声を度々お上げになる。
そう書かれているのだ。
楽俊の顔を見て、六太が溜息をつく。
「ほら、俺ってしょっちゅう蓬山に行ってるだろ?気安い麒麟だし、それでどうにか鳴蝕を起こさないように指導出来ないかってんで手紙が着たんだ。だけど生まれて二年しか経ってないってことはまだ自我もないってことだろ?どうやって教えろっていうんだよなぁ……。」
困ったような顔をしつつも果子を口に放る。既に用意された果子はその半分以上が六太の腹に収まっていた。
「で、でも、もし塙麒様が本当に鳴蝕を起こしちまったら……。」
「蓬莱か、崑崙か。どっちかに行っちまうな。」
眉を寄せ腕を組む。
「鳴蝕を止めるなんてのはできっこないんだ。つまり蓬山は俺に塙麒を預かってくれって言いたいんだろうなぁ。例えば鳴蝕を起こした時に俺が傍に居れば一緒に行って、連れて返れるし、物がわかるようになってくれば危険な事だって教えてやれる。つっても普通俺たちはどこかで鳴蝕は滅多に起こしていいものじゃない、危険なんだって知るはずなんだ。だけど塙麒にはそれが無い。あいつが赤麒麟なのが原因かもしれない。」
楽俊は己から血の気が引いていくのをしかと感じていた。
泰麒は鳴蝕を起こし、返ってくるのに六年を費やした。
見つける事が出来たのも陽子が呼びかけ、各国の麒麟が協力し合った賜物だ。
泰麒は胎果だ。それ故蓬莱に家族を持っていた。
しかし、塙麒は蓬山で生まれた。もし鳴蝕を起こしてしまえばまだ幼い塙麒はどうなるだろう。
「とにかく、俺は一度蓬山に行かなきゃいけないんだ。あんたも連れて行ったほうがいいと思ってさ。下手に功の官に不安を抱かせる訳にも行かないだろうから、一応俺が蓬山を訪ねるついでに塙麒の様子も見ようと思ってて、どうせなら功の官を連れて行ったほうが嬉しい報告とか色々出来るだろうから、一人俺と気心が知れそうな奴を貸してくれって書状を昨日出しといた。出発は5日後な。お前以外の奴用意されたら俺駄々こねてやるから、お前からもそれとなく俺と交流があったって上に話しといてくれよな。」
楽俊に返事は無い。
「大丈夫だって、約束する。塙麒に危険な目はあわせないってさ。もうあんな大捜索はごめんだしな。」
なんでもないように、不安を軽減出来るように声をかけた六太に、楽俊は頷く。
「それじゃ、俺帰るなー。」
急いで残りの果子を詰め込み始めた六太に悧角の声が地面から響いた。
「え、やっへぇまひあふぁふぇえ!」
口をもごもごさせたまま急いで髪に布を当てようとした六太だったが、それより先に大きな音を立てて扉が開いてしまった。
せめて六太が口いっぱいに果子を含んでいなければ、「え、やっべぇ間に合わねぇ!」の言葉が聞け、楽俊は察して動く事が出来ただろう。
しかしそれも叶わず、金色の鬣を持つ子供と甲冑に身を包んだ俊足の夏官は顔を合わせてしまった。
多分文張の「ぶ」の字を発音しようとしたのだろうその口は尖ったまま止まっている。
急いて果子を飲み込んだ六太は空笑いを浮かべ、それじゃあ俺はこれで~などと言うが直後の瞬影の声に驚き体が止まった。
「ど、ど、ど、ど、ど!どういうことですか文張!?」
楽俊は何故こうなることを予想出来なかったのかと頭を抱えた。
瞬影が楽俊の官邸へ駆け込んでくることは月に数度ある。殆どが楽俊を連れて不岩の元へ向かう為のお誘いだったりするのだが、今日は楽俊に用事があったのだろう、遅ばせながら不岩までも部屋に来てしまった。
為るように為れ、と言わんばかりに楽俊は立ち上がり互いを紹介しだした。
「不岩殿、瞬影殿、こちらは雁州国台輔、延麒様です。延台輔、こちらは以前話にありましたお二人で、右おりますのが夏官長大司馬丈瑛桂(じょう えいけい)、左におりますのが……。」
「冬官長大司空を仰せつかっております、朴拓宋(ぼく たくそう)でございます。」
冷静に状況を把握した不岩が伏礼する。
その様子にやっと瞬影が続いた。
六太は二人に面を上げさせると椅子に座るよう促し、楽俊と知り合った経緯を説明した。
「文張、お主には何かあると思っておったが、まさか他国の王や台輔とお知り合いとは……。」
不岩は隠し切れず驚きをその顔に浮かべている。
「まぁ、話せるようなことじゃねぇよな。」
話してしまえばあっけらかんと、六太が笑う。
瞬影は未だに挙動不審で、状況について行けていないらしい。
これで妖魔討伐の際は驚く程勇敢であると聞く。
「落ち着け瞬影、見苦しいぞ。」
不岩に窘められても早々落ち着いていられることではないだろう。
変わらぬ様子に溜息を着きつつ、不岩がここへ来た理由を楽俊に伝える。
それは楽俊の予想通り、先ほど六太に言われたことであった。
「書状には、台輔と面識ある者だと喜ばしいが、そうでない場合、礼儀を重んじ、素朴であるが真があり、尚且つ出来れば雁に滞在した事がある者で若い姿であれば好ましい。なんて書かれていてな。天官府で血なまこになって条件に合う奴を探していたぞ。話を聞けばなるほど、文張以外におるまい。」
「天官府では条件に合う人いないんじゃないかなぁと思いますよ!やっぱり不岩、文張を推挙するべきなんじゃないかな!」
やっと調子を取り戻したらしい瞬影に不岩が頷く。
「台輔もそのおつもりでこんなに細かに書き連ねたのでございましょう?」
しわを寄せ、悪戯めいた笑みを浮かべつつ六太を見れば同じような顔で頷く。
「おいらに言ってた事と違うじゃないですか……」
楽俊が六太をねめつければ笑いが起こる。
さっきは確かに気心が知れそうな者をと言っていたのに。
全く、困ったことだと思う。ここまで書かれてその全てに楽俊が当て嵌まっていれば官は皆怪しく思うだろう。楽俊の立場を危うくしかねない。
いや、多分わざとなのだろう。楽俊から現状を聞いていた六太の事だ、流れる難民の問題など様々なことの協議を持ちかけているが功の官からは努力する、考えている。そんな返事しか来ない。
自らの背負う職に対しての誇りを失った官達は面倒事は避けたい、それしか思っていないのだ。
楽俊が延台輔と旧知である事が知れれば任せてしまえる。
その程度にしか考えないだろうと六太、いや裏に潜んでいる冢宰は目論んでいるのだろう。
溜息をついた楽俊の肩を叩きながら、六太がよろしくな!と元気にのたまった。
上手く事が進み、楽俊は初めて蓬山へと降り立った。
お目にかかる事は一生涯ないと思われた碧霞玄君にお目通りし、塙麒と引き合わされる。
麒麟の姿の塙麒は可愛らしく、そして神々しい。
しっかりとした足取りで走り回るお姿を見ると、功の展望が明るく思えるが、そうも言えないのが現状である。
六太が碧霞玄君との話をする間、楽俊は塙麒と共に居るよう言われる。
女仙と共に訪れたのは開けた場所で、塙麒は楽しげに駆け回っている。
「塙麒さまは良く鳴蝕に似た声をお上げになるので、その度に地が揺れ、建物が崩れるので、普段はお眠りになるまでこういった場所でお遊びになられるのですわ。」
付き添った女仙に言われ納得する。
女怪は名を白 狼智(はく ろうち)と言い、上体は女、腕は翼で下肢は狼である。
その女怪共に駆け回っていた塙麒が楽俊の元へと来た。
「抱いて欲しいのでしょう。」
女仙が言えば、静かな面持ちで女怪が頷く。
恐る恐る抱き上げれば、塙麒は嬉しそうに鼻を鳴らした。
しばらくそのままでいるとウトウトと瞳を閉じる。
「あらあら、よっぽど心地よかったと見えますね。それでは丘柊宮に戻りましょうか。」
塙麒を抱いたまま、女仙に導かれ丘柊宮へと戻る。
その道すがら、急に塙麒が足をばたつかせ声を上げた。
「いけない!」
耳を裂く轟きに、地面が揺れ、立っていることすらままならなくなり、楽俊は膝をついた。
警戒するように先頭を歩いていた女怪が駆け寄り楽俊が塙麒を受け渡そうとした時それは起こった。
起こってしまった。
鳴蝕
空間が揺らぎ、ぽっかりと穴が開く。
そこに塙麒が、そして女怪と楽俊が吸い込まれていく。
女仙達の悲鳴を遠くに感じ、前後不覚に陥った体にぬらりと何かが通っていく感覚を味わう。
何かが足に触れた、それが大地であると気付いた時、楽俊は蓬莱へと降り立ってしまったことを知った。
塙麒が住まう丘柊宮は私の捏造建物です。
不岩と瞬影の本名が出ました。
正直考えるのだるかったし、漢名間違ってたらヤだから避けてたのに、アホい自分。
俺設定、俺キャラ万歳!( ゚Д゚)

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